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N響コンサート 第1767回定期公演

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クラシック音楽館 2014年1月19日



  N響コンサート 第1767回定期公演


 交響詩「中央アジアの草原で」     ボロディン作曲

 ピアノ協奏曲 第2番ハ短調作品18  ラフマニノフ作曲

 交響曲 第5番変ロ長調作品100   プロロフィエフ作曲

        管弦楽:NHK交響楽団
        ピアノ:ボリス・ベレゾフスキー
        指揮:トゥガン・ソヒエフ

  [収録:2013年11月15日/東京/NHKホール]

  ボリス・ベレゾフスキー


ボリス・ベレゾフスキー(ロシア語: Борис Березовский, Boris Berezovsky, 1969年1月4日 - )はモスクワ出身のロシアのピアニスト。

モスクワ音楽院の名教師エリソ・ヴィルサラーゼに師事し、ロンドンのウィグモア・ホールにてデビューを果たす。

1990年にチャイコフスキー国際コンクールに、またジョン・オグドン・コンクールにも優勝する。

リストやシューマン、メトネル、ラフマニノフ、ハチャトゥリアンなどの録音がある。

フランツ・リストの超絶技巧練習曲全曲連続演奏の動画がインターネット上に出回り、一躍有名になった。また、この時の演奏は非常に評価が高い。

N響コンサート 第1788回定期公演

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クラシック音楽館 2014年10月19日 


  N響コンサート 第1789回定期公演


1.交響曲 第41番 ハ長調K.551  モーツアルト作曲

2.交響曲 第6番 ロ短調作品74  チャイコフスキー作曲


      出演  管弦楽:NHK交響楽団
          指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット

 [収録:2014年9月27日/NHKホール]

 



ヘルベルト・ブロムシュテットHerbert Blomstedt1927年7月11日 - )は、アメリカ生まれのスウェーデン指揮者ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団バンベルク交響楽団NHK交響楽団名誉指揮者。スウェーデン語では [ˌhæɹːbəʈ ˈblʊmːstɛt] ヘッルベト・ブルンムステット と発音するが、日本ではドイツ語読みのブロムシュテットで知られる。

 交響曲 第6番 ロ短調作品74「悲愴」 チャイコフスキー作曲

チャイコフスキー最後の大作であり、その独創的な終楽章をはじめ、彼が切り開いた独自の境地が示され、19世紀後半の代表的交響曲のひとつとして高く評価される。

副題については、弟モデストが初演の翌日に自身が「悲劇的」という表題を提案したが、作曲者はこれを否定し、次に弟が口にした「悲愴」という言葉に同意したと伝えているが、これはモデストの創作である。実際は自筆譜、楽譜の出版をしていたピョートル・ユルゲンソン宛のチャイコフスキーの手紙などで、少なくとも曲が完成した9月には作曲者自身がこの題名を命名していたことが分かっている。また、初演のプログラムに副題は掲載されていないが、チャイコフスキーがユルゲンソンに初演の2日後に送った手紙で「Simphonie Pathétique」という副題をつけて出版することを指示している。

モデストはこの曲のテーマとしていくつかの証言を残しているが、作曲者自身は「人生について」としか語っていない。リムスキー=コルサコフの回想によれば、初演の際、演奏会の休憩中にチャイコフスキーにその点を確かめてみた時には「今は言えないな」と答えたと言う。

チャイコフスキーは26歳から52歳までの間に12回のうつ病期を経験したという。『悲愴』作曲時には過去を思い浮かべたのか、それとも当時もうつ病を患っていたのか、うつ的な精神状態を曲に反映させているのではないかという説がある。ドイツの精神科医ミューレンダールは、精神病院の入院患者に対して各種の音楽を聞かせるという実験を行なったが、悲愴を流した場合、特に内因性うつ病患者の症状が悪化し、患者によっては自殺しようとしたとのことである。

チャイコフスキー自身は、最終楽章にゆっくりとした楽章を置くなどの独創性を自ら讃え、初演後は周りの人々に「この曲は、私の全ての作品の中で最高の出来栄えだ」と語るほどの自信作だった。

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エディクソン・ルイス コントラバス・リサイタル

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クラシック倶楽部 2014年10月20日



  エディクソン・ルイス コントラバス・リサイタル


コントラバス協奏曲    ディッタースドルフ作曲

ソロ・コントラバス曲集から第1、第5楽章  ケルターボルン作曲

コントラバス協奏曲    シュベルガー作曲

      コントラバス:エディクソン・ルイス
      ピアノ:小菅優

 [収録:2013年10月11日/白寿ホール]

  エディクソン・ルイス


​ ​ 1985年、ベネズエラのカラカス生まれ。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に所属。11歳でコントラバスを始め、ホセ・アントニオ・アブレウ博士によって創設されたベネズエラの画期的な音楽教育システム「エル・システマ」のオーケストラに所属。「エル・システマ」のフェリックス・プテに学んだ。
 15歳の時、米インディアナポリスで開催された国際ベース奏者協会コンクールで優勝。その後ジャンヌ・サクサラに師事し、ベルリン・フィル・オーケストラ・アカデミーの最年少スカラシップ生となる。アカデミーではクラウス・シュトールに師事し、この学生時代にベルリン・フィルのオーディションに合格、団員となった。2002年にはベネズエラ政府より、オーデン・ホセ・フェリックス・リバス賞を授与されている。
 既に世界で最も著名なコントラバス・ソリストの1人であり、五大陸すべてにおいて、演奏会を成功させている。これまで、ザルツブルク、ルツェルン、エディンバラ、リスボンのグルベンキアン音楽祭などの主要な国際音楽祭をはじめ、ニューヨークのリンカーン・センター、ベルリン、東京、マドリード、オデッサ、チューリヒ、ヨハネスブルクなどで、著名なオーケストラと共演している。
 彼のために作曲され、初演を任された作品の作曲家には、ハインツ・ホリガー、ポール・デセン、エフレイン・オッシャー、アルトゥーロ・パンタレオン、マティアス・オッカート、ルイス・アントゥネス・ペナ、藤倉大、ローランド・モーザーらの名が挙げられる。  室内楽にも熱心で、これまでアンナー・ビルスマ、ジョルジ・クルターク、ハインツ・ホリガー、エリオット・カーター、ブールジュ、クラウス・トゥーネマン、トーマス・ツェートマイアー、イェルク・ヴィトマンらと共演している。

イリーナ・メジューエワ ピアノ・リサイタル〜福岡県岡垣町〜

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 BSプレミアム クラシック倶楽部 2014年10月21日



  イリーナ・メジューエワ ピアノ・リサイタル~福岡県岡垣町~

 ピアノ・ソナタ 第14番嬰ハ短調 作品27第2「月光」 ベートーベン作曲

 舟歌 嬰へ長調 作品60                 ショパン作曲

 「ベルガマスク組曲」から第3曲「月の光」       ドビュッシー作曲

 喜びの島                       ドビュッシー作曲

 4つのおとぎ話 作品26                  メトネル作曲

                  ピアノ:イリーナ・メジューエワ

  [収録:2012年1月27日/福岡県岡垣町・岡垣サンリーアイ]

  イリーナ・メジューエワ


 ロシアのゴーリキー(現在ニジニー・ノヴゴロド)生まれ。5歳よりピアノを始め、モスクワのグネーシン特別音楽学校とグネーシン音楽大学(現在ロシア音楽アカデミー)でウラジミール・トロップに師事。1992年ロッテルダムで開催されたE.フリプセ国際コンクールでの優勝をきっかけに、オランダ、ドイツ、フランスなどで公演を行う。1997年からは日本を本境地として活動を続ける。
 バロック、古典派から近・現代にいたる作品まで幅広いレパートリーを手がけるが、近年再評価の進むロシアの作曲家ニコライ・メトネルの作品紹介にも力を入れており、2001年にはメトネル没後50年を記念したシリーズ「忘れられた調べ」でメトネルの主要作品を4夜にわたってとり上げ注目を集めた。2002年、浜離宮朝日ホールでシリーズ演奏会を開催。同年、スタインウェイ・ジャパン株式会社によるコンサートを行う。2003年、日本国内4都市でサンクトペテルブルク放送交響楽団と共演。2004年と2006年にはカルテット・イタリアーノと共演したほか、2005/06年のシーズンにはザ・シンフォニーホールで4回にわたるシリーズ演奏会を開催。2008年から2009年にかけては朝日カルチャーでベートーベンのピアノ・ソナタ全32曲の演奏に取り組むなど、精力的な演奏会活動を展開している。
 2006年度青山音楽賞受賞。 

ザ・ジョン・ケージ

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 BSプレミアム クラシック倶楽部 2014年10月22日



  ザ・ジョン・ケージ


 4分33秒             ジョン・ケージ作曲
                  スタジオ環境音
 
 ある風景の中で          ジョン・ケージ作曲
                  ハープ:吉野直子
 
 危険な夜             ジョン・ケージ作曲

             プリペアド・ピアノ:一柳慧
               ダンス: 白井剛

 居間の音楽            ジョン・ケージ作曲
  打楽器&ボイス・パフォーマンス:アンサンブル・ノマド
 
 バリエーションズ6        ジョン・ケージ作曲
      チャンスオペレーション:武蔵野美術大学学生

 One9              ジョン・ケージ作曲
               笙: 宮田 まゆみ

 0分00秒             ジョン・ケージ作曲
                  スタジオ環境音

  [収録:2012年2月10日/NHK101スタジオ]

  ジョン・ケージ
写真5 ケージ 顔写真
 ジョン・ミルトン・ケージ・ジュニア(1912年ー1992年)はアメリカ合衆国出身の音楽家、作曲家、詩人、思想家、キノコ研究家。実験音楽家として、前衛芸術全体に影響を与えている。独特の音楽論や表現により、音楽の定義をひろげている。「沈黙」をも含めた様々な素材を作品や演奏に用いており、代表的な作品に「4分33秒」がある。
 生まれたのは、カリフォルニア州のロサンゼルスであるが、父のジョン・ミルトン・ケージ・シニアは発明家で、母方の叔母と叔父には音楽家がいる。父は1612年に潜水艦を建造して当時の世界記録を更新した。ケージは家族の転居により多くの学校に通い、サンタモニカでピアノを習い始める。ロサンゼルスのハイスクールを優秀な成績で卒業し、クレアモントのポモナ・カレッジに入学するが、学業に興味を失い渡欧の計画を立てる。
 1930年にパリで建築家エルノ・ゴールドフィンガーに建築を学んだ後、マジョルカで初めて作曲を行うが、当時の作品は現存していない。1931年にアメリカに戻り、ピアニストのリチャード・ピューリックに音楽を学ぶ。後にヘンリー・カウエルの紹介でアルノルト・シェーンベルクに師事し、1934年から1937年にかけて南カリフォルニア大学のシェーンベルクのクラスで学んだ。1933年から、現存する最初の作品を創る。1937年の文章「音楽の未来 クレイド」では、電気楽器の可能性、ノイズの重視、実験的音楽センターなどのアイディアを延べている。
 初期の作品はシェーンベルクの音楽を継承するかのような、音列処理やリズム処理のある作品が多数を占める。1940年に、グランドピアノの弦に異物(ゴム・木片・ボルトなど)を挟んで音色を打楽器的なものに変化させたプリペアド・ピアノを考案し、「パッカナル」で初めてこの楽器を用いる。このころからアイディアが最優先する発明作品が増え、居間にある全ての物体を叩いて音楽を作る「居間の音楽」などがある。
 ケージの作品で最も有名なもののひとつである「4分33秒」は、曲の演奏時間である4分33秒の間、演奏者が全く楽器を弾かず最後まで沈黙を通すものであるが、これはコンサート会場が一種の権力となっている現状に対しての異議申し立てであると同時に、観客自身が発する音、ホールの内外から聴こえる音などに聴衆の意識を向けさせる意図があったが、単なるふざけた振る舞いと見なす者、逆に画期的な音楽と評する者のあいだに論争を巻き起こす事になった。この時期には、芸術音楽のフルクサスとも関わりをもっている。

中村紘子 ピアノ・リサイタル

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クラシック倶楽部 2014年10月23日  



中村紘子 ピアノ・リサイタル


パルティータ第2番ハ短調BWV826     バッハ作曲

幻想ポロネーズ変イ長調作品61       ショパン作曲

マズルカ変二長調作品30第3        ショパン作曲

マズルカ変二長調作品30第4        ショパン作曲

幻想曲へ短調作品49            ショパン作曲

         ピアノ:中村紘子

 [収録:2013年10月20日/サントリーホール]

  中村紘子
トルコ行進曲~モーツァルト:ピアノ・ソナタ集 

中村 紘子(なかむら ひろこ、1944年7月25日 - )は、日本ピアニスト。旧姓名、野村紘子。本名、福田紘子。

ショパン国際ピアノコンクールで、日本人として、田中希代子の初入賞以来、10年ぶり二人目の入賞者として広く知られている。 

山梨県東山梨郡塩山町(現・甲州市)に生まれ、東京都世田谷区等々力で育つ。夫は小説家庄司薫。紘子自身も後年著述業に進出した。3歳半からピアノを習う。桐朋学園の「子供のための音楽教室」の第1期生で、4歳から井口愛子に師事した。同期には小澤征爾堤剛江戸京子などがおり、この世代がいわゆる桐朋の黄金時代とされている。慶應義塾幼稚舎在学中、1953年から1954年頃に両親が離婚。母に育てられる。陸軍少佐野村典夫と曜子(旧姓中村)の長女として、疎開先の山梨県で誕生。ただし戸籍上は曜子の妹として入籍されている[1]。母中村曜子は、印刷会社経営を経て、1967年以降、銀座の画廊「月光荘」の経営に参画し、ソ連美術を扱って成功を収めた。曜子の主宰する会員制サロン「サロン・ド・クレール」には小山五郎千宗室三島由紀夫浅利慶太相沢英之中曽根康弘石田博英円城寺次郎嘉門安雄谷村裕永野重雄といった政財界人や文化人が集っていた。なお月光荘は、世界救世教に、レオナルド・ダ・ヴィンチの贋作「『岩窟の聖母』の聖母の顔のための習作」を21億5000万円で売り込もうとした事件(月光荘事件)を機に没落し、1989年に経営破綻した(負債総額188億円)。

1954年全日本学生音楽コンクールピアノ部門小学生の部で全国第1位入賞。慶應義塾中等部に進み、1958年全日本学生音楽コンクールピアノ部門中学生の部で全国第1位入賞。1959年日本音楽コンクールで第1位特賞を受賞した。1960年に岩城宏之指揮の東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会にソリストとしてデビュー。同年、NHK交響楽団初の世界ツアーのソリストに抜擢された。その際、同行指揮者の外山雄三と岩城宏之の部屋を夜な夜な「往復」したことで師匠が激怒、井口門下を破門される

その後、桐朋学園女子高校音楽科を中退して渡米、日本人として初めての全額奨学金を獲得してジュリアード音楽院に進み、ロジーナ・レヴィーンに師事した。

1965年、第7回ショパン国際ピアノコンクールで、第4位入賞と最年少者賞を併せて受賞した。この時の1位はマルタ・アルゲリッチであった。

これは、1955年、第5回ショパン国際ピアノコンクールで、日本人として初入賞した田中希代子以来、10年ぶり二人目の入賞となった。

なお、中村は、受賞以降、今日に至るまで公式ホームページをはじめ様々な形で、プロフィールに『ショパン・コンクールで日本人初の入賞 』と自己紹介・自己PRをしているが、これは明らかな誤りである。

このコンクール入賞以後、国内・海外で演奏活動を続ける一方で、ショパンチャイコフスキーアルトゥール・ルービンシュタインはじめとする様々な国際コンクールの審査員を務める。日本では第3回浜松国際ピアノコンクールから審査委員長を務め(第1回は小林仁、第2回は安川加寿子)、コンクール創立10年たらずで国際ピアノコンクール連盟に加盟させるなど一級レベルの国際ピアノコンクールにまで持ち上げ、若いピアニストの育成にも力を入れている。

1974年9月に芥川賞作家庄司薫と結婚した。演奏旅行で家を空けることの多い中村の愛猫を庄司が預かるなどするうちに交際、結婚に至った。

ノンフィクション作家エッセイストとしての顔も持ち、1989年には「チャイコフスキー・コンクール」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。

シギスヴァルト・クイケン”オリジナル楽器で聴くバッハ”

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クラシック倶楽部 2014年10月24日


 シギスヴァルト・クイケン”オリジナル楽器で聴くバッハ”


無伴奏チェロ組曲第1番ト長調BWV1007  

無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調BWV1009

無伴奏チェロ組曲第6番ハ長調BWV1012からサラバンド

無伴奏チェロ組曲第6番ハ長調BWV1012からガヴォット

    ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ:シギスヴァルト・クイケン

  [収録:2014年7月6日/フィリアホール]

 シギスヴァルト・クイケン

 

シギスヴァルト・クイケンSigiswald Kuijken オランダ語発音: [ˌsiɣɪsʋɑlt ˈkœykən]1944年2月16日 - )はベルギー古楽器演奏家。ベルギーのフラームス=ブラバント州にあるディルベーク(Dilbeek)で生まれた。ブルッヘ(ブリュージュ)とブリュッセルの音楽院でヴァイオリンを学んだ。バロック・ヴァイオリン奏者・バロック・ヴィオラ奏者・指揮者として活躍している。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者ならびにバロック・チェロ奏者の兄ヴィーラントや、フラウト・トラヴェルソ奏者ならびにリコーダー奏者の弟バルトルトとともに、「クイケン三兄弟」のひとりとして知られ、クイケン兄弟はいずれも、チェンバロ奏者グスタフ・レオンハルトとの精力的な活動でも名高い。

1964年から1972年までブリュッセルのアラリウス・アンサンブル(Alarius Ensemble)の一員だったが、1972年ラ・プティット・バンドを結成する。1971年よりデン・ハーグ王立音楽院およびブリュッセル王立音楽院にてバロック・ヴァイオリンを指導。1986年クイケン弦楽四重奏団を結成。近年はバロック音楽古典派音楽のみならず、ロマン派音楽印象主義音楽にも裾野を広げ、指揮者や室内楽奏者として演奏活動や録音を続けている。

2007年2月2日ルーヴェン・カトリック大学より名誉博士号を授与された。


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ギドン・クレーメル ピアノ・トリオ演奏会

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クラシック倶楽部 2014年4月28日


  ギドン・クレーメル ピアノ・トリオ演奏会


​ピアノ三重奏曲 イ短調作品50”偉大な芸術家の思い出”      チャイコフスキー作曲

         バイオリン:ギドン・クレーメル
         チェロ:ギードレ・ディルヴァナウスカイテ
         ピアノ:カティア・ブニアティシヴィリ

 [収録:2012年11月4日/東京・サントリーホール]

 ギドン・クレーメル

 7歳の時にリガの音楽学校へ入学、16歳で早くもソヴィエト連邦内の音楽コンクールで優勝した。のちにモスクワ音楽院では大ヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフに師事。1967年、ブリュッセルのエリーザベト王妃国際音楽コンクール第3位。69年パガニーニ国際コンクール優勝。70年にはチャイコフスキー国際コンクールでも優勝。ソヴィエト連邦内のツアーを行った後、75年にドイツで初めてのコンサートを開き、西側ヨーロッパでの鮮烈なデビューを飾った。以降西側での名声が一気に高まり、翌年ザルツブルク音楽祭に招かれた。77年にニューヨークへ進出、アメリカでも名声を博した。97年にはバルト三国の若い演奏家20数名を集め、永年の夢であった室内アンサンブル『クレメラータ・バルティカ』を結成、ヨーロッパおよびアメリカ・ツアーを敢行する。その功績により2001年ユネスコ国際音楽賞を受賞、02年にはグラミー賞最優秀室内楽演奏賞を受賞するなど、旺盛な活動は高い評価を得ている。
使用楽器は、ストラディバリウス、1730年製グァルネリ・デル・ジェス“エクス・ダヴィッド”などを経て、現在は1641年製ニコロ・アマティを使用している。

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N響コンサート 第1787回定期公演

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クラシック音楽館 2014年10月5日


  N響コンサート 第1787回定期公演


1.交響曲 第39番 変ホ長調K.543  モーツアルト作曲

2.交響曲 第4番 へ短調作品36  チャイコフスキー作曲


      出演  管弦楽:NHK交響楽団
          指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット

 [収録:2013年9月10日/サントリーホール]

  ヘルベルト・ブロムシュテット


ヘルベルト・ブロムシュテットHerbert Blomstedt1927年7月11日 - )は、アメリカ生まれのスウェーデン指揮者ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団バンベルク交響楽団NHK交響楽団名誉指揮者。スウェーデン語では [ˌhæɹːbəʈ ˈblʊmːstɛt] ヘッルベト・ブルンムステット と発音するが、日本ではドイツ語読みのブロムシュテットで知られる。

 コンサート・ブラス
「N響 第1654回定期公演」から

組曲「プルチネルラ」  ストラヴィンスキー作曲

    管弦楽:NHK交響楽団
    指揮:クリストファー・ホグウッド

  [収録:2009年9月25日/NHKホール]

  クリストファー・ホグウッド
ご冥福をお祈りいたします。 クリストファー・ホグウッド逝去(2014.9.24)



クリストファー・ホグウッドが亡くなりました。享年73歳でした。高齢になっても活躍する指揮者が多い中、73歳はまだまだ若いと言えます。

国立モスクワ合唱団 演奏会

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クラシック倶楽部 2014年10月27日



  国立モスクワ合唱団 演奏会


徹夜祷 作品37     ラフマニノフ作曲

おお、ナスターシャ    ロシア民謡、アナーシキン編曲

カリンカ        ラリオーノフ作曲

         指揮:ウラディーミル・ミーニン

[収録:2013年10月11日/東京/オペラシティコンサートホール]

  国立モスクワ合唱団

 
1972年、ウラディーミル・ミーニンにより創設。
国立モスクワ合唱団は現在まで世界各国で公演。最近の公演では、ブレゲンツ・オペラ・フェスティバルへの出演とイタリア公演がある。特に注目されたのは、2009年、トリノで行われたイタリア放送交響楽団との共演によるタネーエフ「ダマスカスのヨハネ」とラフマニノフ「春」の演奏である。
 また、プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管、フェドセーエフ指揮モスクワ放送饗、スピヴァコフ指揮モスクワ・ヴィルトゥオーゾ室内管など、ロシアを代表するオーケストラと度々共演。ロシア・ナショナル管との共演では、ビゼーのオペラ「カルメン」や西欧宗教音楽の名曲を数多く演奏。特にモスクワ音楽院大ホールでのハイドン「よき四季斎日のミサ」とベートーベンのオラトリオ「オリーブ山のキリスト」は歴史的名演。
 
  ウラディミール・ミーニン
 1929年レニングラード生まれ。モスクワ合唱学校を卒業後、1950年より1955年まで、モスクワ音楽院合唱指揮科及び同音楽院大学院でV.ソコローフ及びA.スヴェーシニコフ両教授に師事。ミーニンは在学中、1949年からソ連邦国立合唱団で指揮活動を行う。その後、ポーランド北方方面軍歌と踊りのアンサンブル、モルドヴァ共和国功労合唱団「ドイナ」、グリンカ記念レニングラード国立アカデミー合唱団、ノヴォシビルスク国立音楽院、グネーシン記念国立音楽教育大学、1972年より自ら創設した国立モスクワ合唱団などで卓越した指揮者としてロシア合唱音楽の莫大な遺産の再生、創造、そして拡充のため献身的に音楽活動を行っている。
 今回の演奏では最初の3曲は日本人にとっては広く馴染みの深いものばかりでした。
 改めて本場の演奏を久しぶりに聴く事ができ、理屈なしにロシア民謡の素晴らしさを感じとる事ができました。

伊藤恵&ヤング・ミュージシャンズ

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クラシック倶楽部 2014年10月28日


 伊藤恵&ヤング・ミュー十シャンズ


 幻想小曲集作品88   シューマン作曲

 ピアノ五重奏曲変ロ長調作品44  シューマン作曲

     ピアノ:伊藤恵
     弦楽四重奏:エール弦楽四重奏団
       バイオリン:山根一仁
       バイオリン:毛利文春
       ビオラ:田原綾子
       チェロ:上野通明

 [収録:2014年3月14日/NHKスタジオ]

  伊藤恵

​ 伊藤 恵(いとう けい、1959年1月6日- )は、日本ピアノ奏者東京芸術大学音楽学部器楽科・准教授愛知県名古屋市出身。桐朋女子高等学校ザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学ハノーファー国立音楽大学で学ぶ。有賀和子、ハンス・ライグラフに師事。

1983年、ミュンヘン国際音楽コンクール・ピアノ部門で優勝し、バイエルン国立管弦楽団と共演(指揮・ヴォルフガング・サヴァリッシュ)注目を集める。

以来現在に至るまで、リサイタル室内楽・伴奏など、多くの演奏会を重ねる。協奏曲演奏においても、国内外の多くのオーケストラと共演しており、そのいくつかはライブ録音として残されている。

シューマンを非常に愛好しており、しばしばそれを公言している。かつてNHK番組のインタビューで「シューマンは恋人」と語ったこともあった。

フォンテック・レーベルに多くのCD録音を残している。その中には「シューマニアーナ」と題された、シューマンの全ピアノ作品録音も残されている(これは1987年から2007年にかけて、CD13枚にわたって録音されたものである)。

ジャン・フルネの指揮活動引退コンサートにてソリストを務め、東京都交響楽団モーツァルトのピアノ協奏曲第24番を演奏した。

2013宮崎国際音楽祭 ミーシャ・マイスキー 協奏曲の夕べ

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 BSプレミアム クラシック倶楽部 2014年10月29日


 
   2013宮崎国際音楽祭 ミーシャ・マイスキー協奏曲の夕べ
 

歌劇”エフゲーニ・オネーギン”から青春の日は遠く過ぎ去り
                       チャイコフスキー作曲

 ロココ風の主題による変奏曲作品33      チャイコフスキー作曲

 チェロ協奏曲第1番イ短調作品33        サン・サーンス作曲

 無伴奏チェロ組曲第1番ト長調BWV1007から前奏曲    バッハ作曲

           チェロ:ミーシャ・マイスキー
           指揮:広上淳一
           管弦楽:宮崎国際音楽祭管弦楽団

 [収録:2013年5月14日/メディキット県民文化センターアイザックスターンホール]

  ミーシャ・マイスキー
ミッシャ・マイスキー写真
 ミッシャ・マイスキー(Mischa Maisky, 1948年1月10日 - )はラトヴィア(旧ソビエト連邦)出身のチェロ奏者。名前はミーシャとも。ラトヴィア語名、Miša Maiskis(ミシャ・マイスキス)。
2006

現在もっとも活躍している世界的チェリストのひとり。同じリガ生まれのヴァイオリニストギドン・クレーメルはマイスキーの1年先輩にあたり、クレーメル主宰のロッケンハウス音楽祭には定期的に出演している。マルタ・アルゲリッチとの共演をはじめ、室内楽にも精力的に取り組んでいる。レパートリーは幅広く、チェロ用に書かれた作品のほか、フランツ・シューベルトの歌曲をチェロで演奏するという試みもある。


ぺライア ピアノ・リサイタル バッハ ベートーベン

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クラシック倶楽部 2014年10月30日


 マレイ・ぺライア ピアノ・リサイタル


フランス組曲第4番ホ長調BWV815  バッハ作曲

ピアノ・ソナタ第23番へ短調作品57”熱情”  ベートーベン作曲

即興曲第2番変ホ長調作品90第2  シューベルト作曲

   ピアノ:マレイ・ペライア

 [収録:2013年10月24日/サントリーホール]

  マレイ・ぺライア
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マレイ・ペライアMurray Perahia1947年4月19日 - )は、アメリカピアニスト指揮者大英帝国勲章KBEの受章者。

ニューヨークブロンクス生まれ。ギリシャテサロニキに起源を持つセファルディムユダヤ人で、1935年、父親の代に米国へ移住した家庭の出身。母語はラディーノ語。熱心なユダヤ教徒でもある。

その後は国際的に演奏活動や録音活動を開始する。1973年にオールドバラ音楽祭ベンジャミン・ブリテンピーター・ピアーズ、またラドゥ・ルプーと共演した。ペライアは1981年から1989年まで同音楽祭の共同芸術監督を務めた。1980年代にペライアはウラジミール・ホロヴィッツに一緒に仕事をするように招かれた。これは彼のピアニズムに決定的な影響を及ぼしたとペライア本人が語っている。ペライアはホロヴィッツが亡くなる前の晩に彼を訪れており、ホロヴィッツの演奏するピアノを聴いた最後の人物である。

1973年以降、ペライアはコロンビアマスターワークス、後のソニー・クラシカルへと専ら録音を行った。1975年から9年の歳月をかけ、自身の弾き振りでイギリス室内管弦楽団モーツァルトピアノ協奏曲全曲録音を行った。1985年にベルナルド・ハイティンクの指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団ベートーヴェンピアノ協奏曲全曲録音を果たし、両録音とも高い評価を受けている。ペライアはロンドン在住である。

ミカラ・ペトリ リコーダー・リサイタル

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クラシック倶楽部 2014年1月27日



  ミカラ・ペトリ リコーダー・リサイタル


ソナタ BWV1033          バッハ作曲

無伴奏パルティータBWV1013     バッハ作曲

ソナタ ト短調”悪魔のトリル”  タルティーニ作曲、ペトリ編曲

デンマーク民謡”マッズ・ドス”による変奏曲 ペトリ作曲

ノルウェー幻想曲        ラロ作曲、ハンニバル編曲

       リコーダー:ミカラ・ペトリ
       リュート:ラース・ハンニバル
       ギター:ラース・ハンニバル

 [収録:2013年11月30日/フィリアホール]

  ミカラ・ペトリ
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​ 1958年7月7日コペンハーゲン生まれのミカラ・ペトリは、3歳よりリコーダーを吹き始め、5歳でデンマーク・ラジオに出演した。1969年チボリ公園コンサートホールにて、コンチェルト・デビューを飾る。同年、ハノーヴァー音楽大学に入学、フェルディナンド・コンラート教授のもとで学び始める。1976年同大学を卒業。以降、世界各地で演奏活動を行う。これまでに、ピンカス・ズッカーマン、ジェームス・ゴールウェイ、ジョシュア・ベル、モーリス・アンドレ、キース・ジャレット、ギドン・クレーメル、クラウディオ・アバドなど数多くの一流音楽家と共演しているほか、世界各地の主要オーケストラや室内オーケストラとも多数共演。1992年より、デンマークのギタリスト兼リュート奏者、ラース・ハンニバルとデュオを結成し、定期的にツアーをしている。

N響コンサート 第1784回定期公演

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クラシック音楽館 2014年8月3日


 N響コンサート 第1784回定期公演


1.交響詩「ステンカ・ラージン」作品13  グラズーノフ作曲

2.バイオリン狂想曲第2番ト短調作品63  プロクフィエフ作曲

3.バレエ音楽「くるみ割り人形」作品71から第2番  チャイコフスキー作曲

     管弦楽:NHK交響楽団
     指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
     バイオリン:パトリツィア・コパチンスカヤ(2曲目)

  [収録:2014年6月7日/NHKホール]

 パトリツァ・コパチンスカヤ
 

​1977年モルドヴァ生まれ。ウィーン国立音楽大学とベルン音楽院でバイオリンと作曲を学ぶ。2001年にクレディ・スイス・グループ・ヤング・アーティスト賞を受賞し、翌年にはM.ヤンソンス指揮ウィーン・フィルと共演。ほかにもベルリン・ドイツ響、マーラー・チェンバー・オーケストラ、フランス国立管などのソリストに招かれ、ザルツブルク音楽祭、ルツェルン・フェスティバル、ウィーン芸術週間に出演。通常レパートリーから現代曲まで自由奔放な取り組みと演奏をみせ、F.サイやO.ツィーカンらが彼女に楽曲を献呈した。

NHK音楽祭2014ーNHK交響楽団ー

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クラシック音楽館 2014年11月2日


 NHK音楽祭2014ーNHK交響楽団ー


1.ピアノ協奏曲 第21番ハ長調K.467  モーツアルト作曲

2.交響曲 第4番「ロマンチック」  ブルックナー作曲

    管弦楽:NHK交響楽団
    指揮:マルティン・ジークハルト
    ピアノ:ユリアンナ・アヴデーエワ(1曲目)

  [収録:2014年10月12日/NHKホール]

 マルティン・ジークハルト

 
 音楽の都、ウィーンに生まれる。幼少のころより、ピアノとオルガンを学び、その後チェロに転向する。チェロをポール・トルトゥリエ、指揮をハンス・スワロフスキーに師事する。ウィーン交響楽団の首席チェロ奏者として活躍する傍ら、ソリストとして、多くのオーケストラとの共演、リサイタルのほか、歌曲の夕べなどでのピアノ伴奏者、教会音楽家としても活躍した。
 1986年、ウィーン・ムジーク・フェラインザールで、急遽、ウィーン交響楽団の指揮を執ることになる。演奏会は大成功をおさめ、指揮者として輝かしいデビューを飾り、以来、本格的な指揮活動を開始する。
 1900年より5年間、カール・ミュンヒンガーの後を継ぎ、シュトゥットガルト室内管弦楽団の首席指揮者を務め、同管弦楽団を国際的に飛躍させた。1992年には、リンツ国立歌劇場の音楽監督およびリンツ・ブルックナー管弦楽団の首席指揮者に就任し、その8年の在任中、ドイツ、イギリス、イタリア、オランダ、日本、中国にツアーを行い、数々のCD録音も行った。その間ジークハルトが指揮した曲目は、バロックから現代音楽まで、多岐に亘るが、とりわけブルックナーの作品集の解釈に関しては、専門誌などでも絶賛された。またリンツ国立歌劇場では、とりわけモーツァルト・チクルスに力を注ぐ。その最高の成果がCD録音された「後宮からの逃走」(アルテ・ノヴァ)であり、国際的な評価を獲得した。2002年~06年、ラインスベルク・モーツァルト・オペラ・フェスティバルの芸術監督を務める。またライプツィヒ歌劇場では、伝説的な1995年のルート・ベルクハウス演出の「こうもり」を指揮をする。
現在もウィーン交響楽団を定期的に指揮するほか、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団、NDR北ドイツ放送交響楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団、ウィーン放送交響楽団、WDR交響楽団(ケルン放送交響楽団)、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団、イタリア国立放送交響楽団、スロヴァキア・フィルハーモニー、ハーグ・レジデンティ管弦楽団、東京交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団などのオーケストラを指揮する。さらに、ウィーン祝祭週間、プラハの春音楽祭、ブレゲンツ祝祭音楽祭、白鳥の湖音楽祭、カリント夏の音楽祭など各地の音楽祭にも数多く出演する。
 2003年、オランダ・アーネム・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者、2009年より、名誉指揮者の地位にある。この間、EXTONレーベル(オクタヴィア・レコード)より、シューベルト、マーラー、ブラームスなどのCDをリリース、日本のみならず、欧州でも、高い評価を得る。(PCM)

ユリアンナ・アヴデーエワ


 2010年ショパン国際コンクールの覇者。アルゲリッチ以来45年ぶりの女性優勝者として脚光を浴びる。
 モスクワ生まれ。グネーシン特別音楽学校を経て、2003年よりチューリッヒ芸術大学(スイス)にてシチェルバコフに師事。並行してモスクワ・グネーシン音楽院のトロップのもとでも学んだ。2008年に両校を卒業後、W.G.ナボレ主催のコモ湖国際ピアノ・アカデミーにて、バシュキロフ、ベルマン、フー・ツォンらの薫陶を受けた。
 これまで、ギルバート指揮NYフィル、デュトワ指揮NHK響、ブロムシュテット指揮チェコ・フィル、ホーネックおよびペトレンコ指揮フィンランド放送響、ブリュッヘン指揮18世紀オケのほか、ロンドン・フィル、ベルリン放送響、ローマ・サンタチェチーリア管等と共演。
 録音では、東日本を支援するため、2011年秋にチャリティCD『ショパン:ソナタ第2番「葬送」/英雄&幻想ポロネーズ』(KAJIMOTO)、2013年にブリュッヘン指揮18世紀オケとの『ショパン:ピアノ協奏曲第1・2番』(NIFC)をリリース。最新盤は、MIRAREレーベルからシューベルト、プロコフィエフ、ショパンのCDを発売中。

ヒリヤード・アンサンブル 演奏会

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クラシック倶楽部 2014年11月3日


 ヒリヤード・アンサンブル 演奏会


クレルヴォの言づて  トルミス作曲

さらば我が恋人よ  コーニッシュ作曲

ああロビン  コーニッシュ作曲

私を思い出していとしい人よ  作曲者不詳

真白く優しき白賞は  アルカデルト作曲

神のまなざし  ヴェルドロ作曲

おお眠りよ  ローレ作曲

アルメニア聖歌から何という奇跡  コミタス編曲

この教会に  コミタス編曲

アーメン聖なる父よ  コミタス編曲

聖なるかな  コミタス編曲

いと貴き主の御母  ベルト作曲

3つの日本民謡から さくらさくら  細川俊夫作曲

    カウンターテナー:デーヴィッド・ジェームズ
    テノール:ロジャーズ・カヴィークランプ
    テノール:スティーヴン・ハロルド
    バリトン:ゴードン・ジョーンズ

  [収録:2014年9月12日/武蔵野市民文化会館]

  ヒリヤード・アンサンブル

ヒリヤード・アンサンブルヒリアード・アンサンブルHilliard Ensemble)は、イギリスの男声カルテットで、初期音楽を中心に活動する。設立は1973年1974年[1]、グループ名はエリザベス朝の細密画家ニコラス・ヒリヤードから取られている。

ヒリヤード・アンサンブルが扱うほとんどの作品は中世西洋音楽ルネサンス音楽のものだが、現代音楽を演奏することもある。とくに頻繁なのがエストニアの作曲家アルヴォ・ペルトで、他にも、ジョン・ケージギャヴィン・ブライアーズギヤ・カンチェリハインツ・ホリガーなどの曲を歌っている。

オリジナル・メンバーは、ポール・ヒリアーen:Paul Hillier)、ポール・エリオット、ポール・ジェームズだったが、1980年代後半にヒリアーが脱退するまでの間は、メンバーは流動的だった。1990年以降、デイヴィッド・ジェームズ(カウンターテナー)、ロジャーズ・カヴィ=クランプ(テノール)、ジョン・ポッター、ゴードン・ジェームズ(バリトン)が核となり、メンバー交替は1度だけ、1998年にジョン・ポッターがスティーヴン・ハロルド(テノール)に代わっただけだった。

ヒリヤード・アンサンブルはこれまでECMレコードからたくさんの音源を出している。1993年グレゴリオ聖歌が流行した頃はとくにそのピークで、ノルウェーサクソフォーン奏者ヤン・ガルバレクと前例のないコラボレーションをしたCD『オフィチウム』のリリースもこの頃である。『オフィチウム』はこれまでのECMの最高売り上げを記録したアルバムの1枚で、ヨーロッバ各国のポップ・チャートを賑わせた。1999年にはヤンと再度共演し、2枚組CD『ムネモシュネ』を発表。2010年には新オフィチウムというべき『オフィチウム・ノヴム』を発表。

また、ヒリヤード・アンサンブルの録音は、音楽研究家と音楽鑑賞のための教科書『Listening to Music』(クレイグ・ライト著)にも含まれている。

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